; 不登校と母と私の話。

中学3年生のある時、昼休みに過呼吸を起こしてしまった。友達に保健室に連れてってもらって、私が落ち着くまで保健室の先生が付き添ってくれた。少し経ってから落ち着いて、辛かったな〜なんて呑気にしていたら(過呼吸なので涙は出ている)保健室の先生に、「大丈夫?何かあったかな…」と心配されてふと私は大丈夫じゃないのか?と疑問を持ち始めてから崩れ始めた。

例えば、今までバケツの中にストレスという水を少しずつ入れていて零れる前に自分で捨てられるようになっていたのが突然コップになって、今までバケツに貯めていた水が零れたという感じだ。

高校1年生の時、私の性格の問題かクラスに馴染めず学校というものが嫌になった。それでも、何とかギリギリ出席日数で上がれるということで、最後の担任の先生との面談で「この子と一緒だったら学校に行こうって思える子はいるかな」という質問で2人くらい言い、少し明るい気持ちで高校2年生になれると思った。

だけど、そのことは一緒にはならなかった。あまり話したことない人ばかりで不安だったが私と仲良くしてくれる子は沢山いた。学校は恵まれだと思った。でも、それだけでは終わらなかった。

母と私の関係はその頃から最悪になってしまった。母はひたすらに「貴方はダメだ…」(その他は割愛)と毎日言われ続け自暴自棄になっていった。

その出来事は大学になっても続いた。

だから私は、家にいたら私も母もどちらも傷つけ合うから出ていかなければならないと思い、わずか2ヶ月足らずの付き合いの今の恋人の家に逃げた。

それからとても良好な関係を築けた。

 


今思うの事は、あれは母なりの思いやりであり優しさだったのであることは確かだ。ただ、母が子供だった時、レールを沿う人生だったのを私に強要してしまったのが少し悪かったのかもしれない。私も自分の思想や意見を言わないまま、ひたすらに逆らってしまったのも悪かった。

私と母は似ているところが沢山あるので、もう少しお互い穏やかに自分達のことを話す時間が必要だったのだ。

 


でも今更過去を後悔しても仕方がないのでこれから先、母も含め私が後悔してる相手とどう関わっていくかが大事だと思っている。