; 嫌われる勇気を読んで

学生の時私は、○○で育ったから今こうなってしまった、○○だから不幸だ。と思っていた。

ですが嫌われる勇気では、「フロイト的な原因論ではなく、目的論に立脚すべきだ。過去に原因を求めてはいけない、トラウマを否定せよ、人は過去の原因に突き動かされる存在ではなく、何かしらの目的を達成するために動いているのだ」と書かれていた。

これを読んだとき、最初の文は完全に原因論ではないか。選択していたのはいつでも私だったのだと気づいた。でも私は勇気(動く力)があったからつらい日々から逃れたくて家を飛び出し付き合って間もない恋人の家に住むようになった。

この話をすると、「その時恋人がいたから逃れられたのじゃないか!!環境が恵まれていたからじゃないか!」と投げかけられるのだがそれも、恋人に限らず交友を求めてSNSで動いてたからであって運がよかったのかもしれないが、導いていたのは全部自分の行動だった。

 

学生の時から私は、原因論もみるが目的論を意識していたのかもしれない。

だから、過食嘔吐自傷行為も直せたのかもしれないと今は思う。

 

ここまですらすらと「動いた方が良い」といってはいるがとても難しいことも分かっている。変わることは怖い、だから現状維持したくもなるが、あなたが恐れているよりも変化は恐ろしくないと私は伝えたい。