頭痛が痛い構文

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はじめまして、ゆです。

 

「通常通り」って会話では違和感なく使ってたけど、文にしたときに(あれ「普通通り」とか「通常通り」って「通」被ってるけどいいんかな…)って違和感あって、ネットで調べたらやはり「頭痛が痛い構文」でした。

 

「普通」とか「通常」ってそもそも「いつも通り」って意味なので、「普通通り、通常通り」は分解すると「いつも通り通り」になるらしいです。

 

僕の地元には「小貝川」って大きめの河川があるんですが、橋のところにある看板に書かれた英語標識が「KOKAIGAWA river」だったことを思い出しました。

 

もっと調べると「頭痛が痛い構文」って結構たくさんあって、「故障」はそれだけで現在進行していることを意味する言葉だから「故障中」は中が被ってるだとか、「ご自愛ください」は「お体を大切に」って意味だから「お体ご自愛ください」は体が被るだとか…

 

でも僕がここで主張したいのは、頭痛が痛い構文は恥ずかしいから気を付けた方がいいとか、正しい日本語じゃないとか、そういうことじゃないんです。

 

そもそも「正しい日本語」って?

 

僕の結論は「伝わればなんでもいい」です。だって言葉って常に変化するものだし、伝統=正解だと言うなら今も皆「いとをかし」とか言わないとダメなんか?あ?ってなるじゃないですか。

 

それでいうと「頭痛が痛い構文」って大半は伝わるから、じゃあよくない?って思うんです。

 

むしろ「頭痛が痛い構文」にすることで意味が強調される場面だってあるよね。KOKAIGAWA riverなんてとにかくめっっちゃ川なんだなって感じするし。

 

てか「故障」については「故障中」の方が正確に伝わる気がする。ならもう「頭痛が痛い構文」って間違った日本語とかじゃなくないですか?

 

それなのに「頭痛が痛い構文」を見つけ次第『バカみたいな間違った日本語使ってる!』とか指摘してくる人、なんか心が貧しい気がしますね。『同じ意味の言葉重ねて無駄じゃん!』とか言うけど、その指摘こそ無駄だろって感じ。

 

コミニュケーションって全部そうで「自分が伝えたいことを相手に伝えるためにはどうすればいいか」ってことが何より大切と思うから、「頭痛が痛い構文」だから間違ってるとか正しいとかって議論は不毛な気がします。

 

なのでこれからこのブログで変な日本語を使っていても怒らないでください。

 

以上です。